大井オートレース場(東京都)が1973(昭48)年3月で廃止された
その代替地として
群馬県榛名郡榛名町がオートレース誘致に動き出し、次いで同年7月伊勢崎市も誘致に名乗りを上げた
県が調整した結果、伊勢崎市に軍配があがった
1973(昭48)年11月:伊勢崎市臨時市議会においてオートレース誘致を議決し
翌(昭49)年10月オートレース誘致に関する公聴会で賛成が得られ
1975(昭50)年10月6日:近代施設が備った伊勢崎オートレース場が完成しその落成式が挙行され
10月8日に華々しくオープンした
大井オートレース場の閉鎖から3年半にして移転が実現した事は異例のハイスピードである
1976(昭51)年10月8日:群馬県伊勢崎の地で伊勢崎オートレースが初開催された(主催:伊勢崎市)
舗装路:500m、幅員:30m、曲率半径:52m
土地と施設は東京都競馬株式会社(大井競馬場の施設を所有している会社)が所有
伊勢崎は全くの更地に理想的なレース場を建設し
群馬県を中心に埼玉、栃木の3県200万人以上の周辺住民を擁し成功間違いなしと見られていた
特に投票システムの機械化を建設当初から採用したのはオートレース界では最初の快挙でる
また
交通対策としてレース場前の駒形バイパス2車線を4車線に完成するなどレース場周辺の混雑緩和に努めた
<昭和60年度・伊勢崎市主催・連勝単式勝車投票券>
1989(平元)年6月2日:オートレースでは全国で初めてのナイターレースが開催された
(全公営競技を通じても大井競馬場<1986年7月31日より実施>に次いで2番目)
大井競馬ナイターの成功により昭和63年に伊勢崎市はナイターレースの構想を打ち出し
数々の照明、騒音テストを重ねナイターオートは開催された
ナイターの成功はビギナーファン増加、入場者数増加により大成功を収めた
その後、ナイターレースに「ムーンライトナイター」の愛称が用いられる事となった
群馬県伊勢崎市宮子町3074
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